無想庵コラムCOLUMN

随処作主、立処皆真

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随処(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)れば、

立処(りっしょ)皆(みな)真(しん)なり

この言葉は「臨済録(りんざいろく)」という中国・唐時代の書物に出てくる言葉で、いわゆる禅語です。

上行の 随処主作 の意味は、『いついかなるところでも主となる、自分自身が主人公であることを見失わない』ということです。
下行の 立処皆真 は、『すなわちすべては真実である』という意味になります。

            『茶席の禅語ハンドブック』より

なんだかよく分りませんね?!

私なりの解釈ですが、「どんな状況に置かれようとも、自分が主体となって事に取組みましょう。そうすればその取り組みは現実のものとなるんだよ(たとえ自分の予想と違っても)」という意味ではないでしょうか?

自分が主体とならず、人の後ばかり付いて行くのは、風当たりがなく、安全で、うまく行かなかったらその人のせいにできます。楽チンですね。

逆に自分が主体になってやっていても、思うように行かないとき、つい誰かのせいにしてその人の悪口を言ったり責めたりしています。冷静になって考えてみると、周りの人や環境のせいにしているということは、自分の人生の主導権を投げ出してしまっていることと同じです。 随処に(いついかなる時も)主作れば(自分が主体、主人公になってw)起きる結果を甘んじて受けていることにはなりません。
変えられるのは自分と未来、変えられないものは他人と過去。というやつですね。

どんな結果になるかは、だれにもわからないけれども、自分が主体、先頭に立って一生懸命努力して問題にぶつかっていく。その結果、現れた現実、状況こそが真実なんだ。だから受け入れよ!という風に厳しいけれど覚悟を問われている言葉なんだと私は解釈しています。

正直、さんざん頑張って無残な結果や納得いかない結末になるなんてとても受け入れられないのですが、それぐらいの覚悟でこの事業に取組めよというメッセージだと考えるようにしています。

解釈が違うのかもしれませんが、 私にとっては座右の銘です。

もし、こういう解釈もあるよとご存知の方は教えてくださるとすごく嬉しいです。また他にも素晴らしい言葉や禅語があるよと教えていただける方がいらっしゃればお願いします。お名前と連絡先を問い合わせページから送ってくださっても結構です。折り返しこちらよりお電話かFAXさせていただきます。

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