無想庵コラムCOLUMN

ひく

ひく

 一会の茶会のなかで「ひく」手がなかなか利いている。

 潮にもさしひきがある。勘定にも足したり引いたりがある。むろん人の気持ちにもさしひきがあり、また、出どき退きどきの波にいつも大きく揺られている。波に乗りそこねて溺れかけることも時にはある。

 引き柄杓の「引き」も、むつかしいのは確かだが、これなどは、稽古をすれば上手にはなる。上手にすれば見映えがするから、むつかしいとボヤキながら得意な人は意外にいるものである。

 だが、見映えと云う意味ではさほどではないちょっとした動作、例えば、茶碗を膝元へ「引く」手順とか、客が飲みおえた茶碗を居前[翠1] 「引き」とる手順などを美しく見せてくれる人は少ない。「出す」時は慎重なのに「引く」となるとお粗末で、ひどい場合は、鷲掴みに茶碗が宙であえいでいたりする。何かが済んでしまってあと始末をしていると云う気が、文字通りお手軽にことを運ばせるのであろうか。

 「徒然草」に「高名の木のぼり」と云うはなしがあるのをご存知だろう。目のくらむ様な高い気に弟子がのぼっている。下で高名の木のぼりは黙って見ている。やがて、上での仕事をおえて弟子は降りてくる。そしてもう少しで地上と云うあたりで「気をつけろよ」と声をかけてやる。怪我は、もう事成れりと気のゆるんだ時分に起きる。一心不乱のあいだは大事ないものだと彼はそばの人の語ったという。

 そうしてみると茶の点前で肝要な場面は(あえて云えば)客からだされた茶碗を「引き」とって、そして客の申し出のままに「仕舞い」始めるあたりからだ・・・・と云えなくもない。と云うよりは、間違いなく、稽古の出来た人と、そうでない人との差は、ここで大きく見えてくるのである。

 たしかにあと始末ではある。が、それを客の目の前で、やすやすと、しかも興ざめにならない様に美しく、さらさらと、むろん丁寧に扱いおえる。云えばそれ全体が「引く」であり、オーバーにいえば「ひきぎわ」の心映えで、客の胸に満足や感銘の手ごたえを、一入そそぎこむ力量が要る。

 何事も出るばかりではない。そんな不自然なことはもともと出来ることではない。 

 茶が点ってそれを味わうまでは、客も、いわば身を乗り出しているものだが、乗り出させたぶん、今度はそれを退屈させずに心よく「引く」ことが出来る様、一会の潮をよく見計らい、心づかいして「ひく」必要がある。こう云う所を、忘れると云うより、はなから気づいていない様な席に入ると、強いられた正座がひとしお痛い。

 出るも退くも、自然のリズムにかなう様に・・・・と云うのはたやすい。しかし、そううまくはゆかない。

 趣向はその人の精神の活気であり陽気である。自然のリズムにいきいきした趣向で表情を添えてゆく。そんな時、「出る」は易く「ひく」は難い。


 [翠1]

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