無想庵コラムCOLUMN

一亭一客

一亭一客

 水指の定めの座を客の側へ寄せて、少しでも客の身近に向って茶を点てる。あれやこれや楽しく語りあいながら・・・。

 茶室に、たった一人の客を迎えて亭主がたった一人で茶をふるまう。人と人とのもっとも親しい相であり、これ以上削ぎ落せない茶の湯の原点で、又究極であろう。

 一亭一客(一客一亭とも云う)の会の楽しさは、そしておそらく難しさは、茶室と云う閉じられた空間で、かなり自由が利くところにある。例えば興がもよおせば客に代ってもらって、点前座を途中から明け渡してもいい。作法の限り、二人の世界でどんな心入れも変化も自由に楽しめるし、楽しんでいいはずだ。しかしそれだけに、「自由」の二文字の重みにしかと耐えうる気構も必要である。

 私と、あなた。俺と、お前、の仲。そこがお互いの「点前」と云う場である。その場で協力して営まれる一切が、茶の湯の場の「点前」だ。その「点前」はまた、世に云う一人称でも二人称でもある。私だけでは人の世は成らない。あなた一人でも世とはいわない。

世と云う限りは、必らず私とあなたとが最低二人揃っていなければならない。

 私が思いきり手を伸ばしても、私の「手前」は三尺にも満たない。それが同じ様に伸ばしたあなたの手と出会って結ばれる時、二人の間に一人の時の二倍の「手前」がひろがり、それは、いわば「我々」のものである。

 一亭一客の茶は、そう云う思想が支えている。

今回で3ヶ月に渡って連載した串本宗貞先生のエッセイ『道くさ』は最終回となります。茶道の修行を何年か積まないとなかなかここに書かれていたことが理解しづらかったと思います。私も最近になってやっと、理解が少しづつ出来てきたかなという段階です。

また機会があれば、中上級の方向けに新たな企画が出来ましたら、お届けしたいと思います。ありがとうございました。

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