無想庵コラムCOLUMN

居前と定座

居前と定座

 「建水をすすめて、居前を正す・・・・」

 ごく初歩の薄茶点前からこう云う順序を踏んで、さ・・・これから始まり、とでも云った気分になる。若かりし頃、初めてこの様に習った当座は、ことに、この「居前を正す」ところへくると、一瞬表情まで改まったものである。内心いささか照れくさく、小学校の学芸会で今自分の台詞を口にする、あのドキドキ・ムズムズにも似ていた。居前を正して、いよいよ、これから客の前で道具を清め、茶を点てるのだ、演戯はいま始まるのだ、佳い一呼吸である。

 この場合の「居前を正す」にはいくつかの意図がある。

 一つは、「着物の前をきちんと整える意味。」初心の人にもこれはスンナリ納得がゆく。

 ただ姿勢を正すだけではない。膝もとでする仕事の多い点前作法で、着物の前が乱れていては、見苦しいし、点前もし難い。

 もう一つは、外ならぬうちの気息を整える意味で、これも納得がゆき易かろう。だいたい裏千家の点前は実によく出来ていて、上手な人が点前をすれば、左右両方の手が同じに膝に置かれてある状態と云うのは、めったに無い。流れる様に右手と左手とが微妙に美しく交差して、大小さまさまの道具をいろいろに使用しながら、渋滞する事がない。やたら膝に両手を置いているなら、未熟な、それはいわゆる思案手なのである。その点「居前を正した」一呼吸の間などは、極めて貴重な「膝に両手」の状態である。つまり、外に身構え、内に気構えて、我・人ともにシンとする。

 だが、ここで説明をやめてしまうと、実は「居前を正す」本当のところが伝わらない。着物の乱れを直して息を整えるだけでは、本来「居前を正す」の目的はまだ果たせていない。

 点前をする人は、点前を正確にかつ美しくなしとげるために、もっと重要な機能上の「用意」をするのでなければならない。それは何か。

 「居前を正す」最も大切な意味の三つめは、正しい位置と方向に座る、座り直すことにある。正しい位置と方向にキチンと座れないまま点前をすすめる不自由さ、勝手のわるさは、体験者ならイヤと云う程わかっていよう。大小の道具をそれぞれに配置して、それらを流れる様に適切に用い続けるのが点前である以上、諸々の道具へ、無理なく容易に手が届いて姿勢を崩さないと云う「基本」が守られねばならない。その為には、何より「居前」を正確に「正す」ことが不可欠。炉でも風炉でも、ともあれ「居前を正す」機会に「定めの座」へ慎重に座らないと、とんだ粗相なことになりかねない。又その気にさえなれば、畳には目数があり縁があり角があり、自分の体や手の長さと相談して「定座」や「居前」は、日頃の稽古で十分身につけることが出来るはず。

 「居前を正す」ことの重要さが判ってこそ、今度は一つ一つの道具を正確に美しくそれぞれの「定座」に据える術もおぼえる。茶の湯のそれがいわば第一歩なのだ。

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