無想庵コラムCOLUMN

拝見

拝見

 稽古はじめの若い人なら、きっと口元がムズムズしてうまく云えない、茶の湯にはその様な独特の挨拶がずいぶんある。

 とりわけ茶振舞も済み、茶筅・茶碗・茶杓も清め終ってもう点前も果てようとする寸前になって

「お道具拝見を・・・」

と声がかかる。

 特に大寄せの、さながら興行じみた茶会で、広間に何十人、その次の部屋にも一杯の客を待たせている様な場合の、「お道具拝見」は、平成の茶の湯の面目にかけて何とか考える必要があるのではないか。

 肝心要の茶は点て出しで、用いた道具だけは一人一人にちくいちみせる、見る、と云うのもそれが「拝見」と云った大仰な言葉を用いるだけに腹立たしくなる。

 気働きもない大寄せの会では、時には拝見の途中で「あとはこちらへ荘るから・・・」

などと云って取り上げてしまう。

 お手紙拝見しました。

今度の〇〇、面白く拝見しました。

などと云う様な言い方をする。こうして状況での「拝見」をかた苦しくどうこう云うつもりはない。「今日は」と云う挨拶を今さら意味がないなどと文句を云う人もいまい。それと変わりがない。

 しかし、茶室での「お道具拝見を」をこれと同時に聞き流すのはどう云うものか。

 見たい方も、見てほしい方も、一本の茶杓なり棗なりに対する思い入れと云うものがあるはずだ。その思い入れを、喜びを領ちあいたくてこそ主は客を茶に招き、客も主のその心根を汲めばこそ茶室へ足を運んできたのだ。そうである限りは「拝見」の言葉は単なる挨拶では済まない。

 主と客とが、胸と胸とで呼び合う「態度」の表白。

 道具以上に道具を治め用いた人への「敬意」の表現。

 だから・・・その「拝見」でブチこわしになる様な茶の湯のあり方は真剣に考え直さなければなるまい。

 「どうぞ拝見を・・・」と心から喜んで言い、また言われる茶の湯・・・やはり難しい。

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