八朔釜(はっさくがま)
八朔と聞くと私たちはついミカンの一品種を思い浮かべてしまいますね。果実は表皮が滑らかでやや小ぶり、甘味も多いのでおいしい果物です。江戸末期に広島県因島で発見されたそうで、八朔柑(はっさくかん)が正式名称になります。
しかし、本来 八朔とは陰暦(旧暦)の八月朔日(ついたち)のことを指します。また、その日に行われる行事のことも八朔と言うそうです。 (新暦でいうと9月1日なので地方によっては9月に行事をするところもあります) 農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝う風習があり、町家でもこの風習を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表すようになりました。
その後、徳川家康がこの日江戸城入りをしたところから、武家の祝日となり、大名・旗本などが白帷子かたびらをつけて登城し、将軍家に祝辞を述べたそうです。
他にも江戸吉原では、遊女たちが白無垢しろむくの小袖を着て 客席へ出たり、おいらん道中を行なったりしてお祝いしたらしく、 この風習は、元祿年間(1700年ころ)に遊女高橋が白無垢のまま病床から客席に出たところから生じたそうです 。
お茶の世界ではこの日に、千家十職と呼ばれる各家が三千家のお家元にご挨拶にお伺いする行事があります。