和菓子とは何か?
お菓子の始まり
まだ砂糖が無かった時代、 菓子と言えば果物でした。菓祖と呼ばれる田道間守(たじまもり)という人が垂仁天皇に命じられて、不老長寿の効用があるという非時香菓(ときじくのかくのこのみ)という果物、橘(柑橘類の一種)を探しに行ったという伝説が残っています。お菓子のルーツの一つが果物(柑橘類)ということになります。
もう一つのルーツが餅です。お祝いの日には(ハレの日)欠かせない食べ物でした。お酒と同様にお餅も貴重なお米を原料にいく手間もかけて作るものですから、貴重であったことは、果物同様相当なものだったでしょう。一説には平安時代くらいには既に今の花びら餅や亥の子餅の原型らしきものがあったそうです。
砂糖が日本に伝わった最古の記録は、8世紀の奈良時代に中国から運ばれてきたといわれています。 15世紀に貴族や武士の間で茶の湯が興ります。 16世紀に始まった南蛮貿易によって、カステラなどの西洋菓子とともに砂糖がたくさんもたらされるようになりました。 薩摩藩から黒砂糖が流通するようになり、やがて18世紀末には讃岐から和三盆が流通するようになりました。これにより茶の湯とともに和菓子が発達します。
江戸時代中期以降に和菓子は色々と出来上がって行きましたが、現代のように砂糖が当たり前にある時代ではなかったので今ほど和菓子の種類が豊富ではなかったと想像していました。
ところが、「男重宝記」 という男性が知っておくべき教養本の中に和菓子とその銘が250種も載っているそうです。現代はスイーツと言えば女子のテリトリーですが、昔は(茶の湯の影響でしょうが)男子の教養だったのですね!
因みに「男重宝記」とは1693年(元禄6)発刊された 艸田寸木子(くさだすんぼくし)という人が書いた本。 5巻あり、 近世初期の民衆文化の向上に伴い、仮名草子などとともに発生したもので、その前年同じ著者による『女(おんな)重宝記』が好評だったところから男子向きにつくられたもの。 バブル時代に流行ったマニュアル本みたいなものでしょうか?(笑)