無想庵コラムCOLUMN

牡丹餅 九月のお菓子

牡丹餅 九月のお菓子

牡丹餅(ぼたもち)

八朔(はっさく)とは、八月の朔日(さくじつ)のの略で、旧暦の八月一日のことを指します。今の暦で大体、八月末から九月中旬くらいですが、「田の実の節句」と言われています。稲の豊作を祈る行事ですが、田の実を頼みにかけて、日ごろお世話になっている方へ贈答品を送る風習が江戸時代にありました。この八朔のお祝いに牡丹餅を食べる風習が出来ました。現在では春のお彼岸に食べるものが牡丹餅と言われていますが、いつから季節が変わったのか詳細は知りませんが、昔は稲刈り前の時期に食べたものだということです。

この牡丹餅の製法は、うるち米ともち米を混ぜて炊き、米粒がまだ残る程度に軽くついて小さく丸めたものです。それに餡をまぶしたり、きな粉やごまをまぶしています。おはぎとか萩の餅とも呼ばれていますね。 よく牡丹餅とおはぎの違いが話題になったりしますが、 代表的な通説が、春のお彼岸に食べるものを「ぼたもち」、秋のお彼岸に食べるものを「おはぎ」と呼んでいます。

牡丹餅の赤い小豆餡をまぶしたところが、牡丹の花に似ていることから名付けられたといわれていますが、牡丹は春に咲く花なので、春のお彼岸が牡丹餅と呼ぶ由縁だそうです。

おはぎは、秋の七草のひとつである萩の花と小豆の形状が似ているため、「おはぎもち」と呼ばれていたのが「おはぎ」に変わったとされています。
ですが、季節ではなく、製法や材料などで呼び分けられるという説もあり、地域やお店によっても呼び方が異なるようです。

例えば、米の種類で分けて、主にもち米で作られているのは「ぼたもち」、主にうるち米を使っているのは「おはぎ」と呼んでいる地域もあります。あるいは、あんこで覆ったものは「ぼたもち」、きな粉をまぶしたものは「おはぎ」と呼ぶ地域もあるのです。

昔は、牡丹餅は牡丹の花のように大きな丸い形で作られ、おはぎは萩の花のように細長い俵型のような形状で作られていたとされています。外側を覆うあんこもぼたもちはこしあん、おはぎは粒あんという違いがありました。秋に収穫したばかりの小豆は皮が柔らかく、そのまま皮も潰して食べられるため、秋のおはぎには粒あんが使われていました。しかし、ぼたもちを作る春には皮が固くなってしまっているため、皮を取り除いたこしあんが使われるようになったのです。

現在では、小豆の品種改良や保存技術が発達した結果、季節を問わず、粒あんが作れるようになったため、季節によるあんこの違いがなくなりました。

余談ですが、ネットで色々調べてみると、夏や冬に作る場合には別の名がありました。夏の別名は「夜船(よふね)」です。理由は、おはぎを作るときには臼でつくことはせず、米を潰して作られるため、餅をつく時のようなペッタンペッタンといった音が出ないので、近隣の住人でもおはぎを“ついた”のがいつか分からないことから、夜は暗くて船がいつ“着いた”か分からない「夜船」になぞらえて呼ばれるようになったそうです。また、冬は「北窓」とも呼ばれ、北にある窓からは“月”が見えないことによります。搗(つ)くことをしないことから、転じて“月知らず”となったということです。

物の名前の由来を知るのは、色々あって面白いですね。

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