無想庵コラムCOLUMN

露 十一月の掛け物

露 十一月の掛け物

露(ろ、つゆ)

禅語の辞書によると、「ろ」と読むのが正解のようです。他にも「あらわ・あらわれる・あらわす」とも読めます。

「つゆ」と読む場合、空気中の水蒸気が冷えて水滴となり、草木の葉や地面などについたもの、水滴のことを指すますが、「玉露」もこちらの意味です。

「ろ」と読む場合の意味は、屋根のない所のこと。露天風呂とか露店という風に使っていますよね。国語の授業じゃないけど…。

「露」という禅語は、「露地にて露を撃ちてて滴る」という仏教説話に由来しています。禅宗五家の一つ雲門宗の宗祖である雲門文堰(うんもんぶんえん)お言葉です。仏教の「無常」とか「空(くう)」の教義を示すために使われるそうです。

この時の「露」とは朝露のことですが、日が昇り太陽光のため蒸発してしまい、存在は出来なくなります。この一時の儚い存在感が、人間の命やこの世の在り様を象徴していると考えているのです。

禅宗ではこの教えを通じ、物事は全てほんの一時の物で常に変化し、永遠に続くものは無い故に、執着や欲望を捨てることを説いています。現実に対しいて真摯に受け止められる心の態度を育む様説法しているわけです。

禅語として、好きな言葉ですが、中々掛け軸としては市販されているのを見かけません。禅僧に書して頂ければ良いのですが、利用頻度とコストを考えるとつい後回しになってしまってます。

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