無想庵コラムCOLUMN

念 九月の掛け物

念 九月の掛け物

念(ねん)

今月は敢えて、茶席ではあまり見かけない禅語を取り上げたいと思います。通常、茶席の掛け物は、季節感を出すものか、その茶席のテーマになるようなものになります。もしくはお披露目したいお軸とか。

今回はその茶席のテーマと言うよりは、なぜその語が掛かっているのか、話題を広げる為に掛けさせてもらいたいと思います。

念とは常に心から離れない気持ちのこと。だから良いことも悪いことも、心の働きが作り出しているものと言えます。「念仏を唱える」と言いますが、仏様の名前を唱える事だけではなくて、いつも心に仏様を抱くことも同じだと思います。

念は心の働きですから、時には間違った方向に行ってしまうこともあると思います。お茶の修行を始めてから、随分穏やかになり、自分の心をコントロール出来るようになって来たとは思いますが、それでも時々、怒りに駆られることがあります。特に自分が悪くない(少なくとも自分では確信している)場合だと、相手への攻撃心がめらめらと燃え上がってしまいますが、やったところで物事好転する訳でもないのでなんとか我慢出来ています。

ですが、お茶を嗜む者として、出来ればそもそも怒りを感じない、無関心になるという訳ではなく、平然と物事を流し去っていく正に無念無想の高みに自分を昇華させられたら、人として一歩成長出来たと言えるのではないかなと最近考えます。

皆さんもお点前の所作をそうですし、道具の扱いも念には念を入れて見直して行きましょう。

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