一粒粟中蔵世界 一月の掛け物
一粒粟中蔵世界(いちりゅうぞくちゅうに せかいをぞうす)
今日は、読む上げるのも難しいそうな、お茶席で掛かっている禅語をご紹介します。私の好きな禅語です。 小さなものの例えとして、昔は粟だったそうです。今なら米粒といったところでしょうか?
直訳すると「一粒の粟(あわ)の中に世界が宿っている」ということですが、小さな、たった一粒の粟(米粒でもおなじですが)の中に全世界が入るなんてあり得ない話ですよね?ですが、そんな小さなものの中に宇宙や真理が含まれているという禅的な考え方、概念です。
出典は『五燈会元(ごとうえげん)』という書物です。これは禅宗の重要な文献の一つで禅宗の歴史や教義をまとめた大作です。燈とは宗祖を指していて、 この『五燈会元(ごとうえげん)』 は五人の宗祖の教えを弟子たちが統合していき禅宗の基盤となった書物です。禅語の話題になったとき、出典元の書物などもある程度知っていると教養深い会話が出来ますよね。
この一粒粟中蔵世界(いちりゅうぞくちゅうに せかいをぞうす)ですが、八仙人と言われる呂洞賓(りょ どうひん)という人の言葉だそうです。そして、この句の後には、『半升(はんしょう)鎗内(そうない)に山川を煮る』と続いています。 半升 は五合、鎗内は足つきの鍋(日本には無いですよね?)の事です。もちろん五合炊きの鍋に山や川など自然が入る訳ないですので、これらの句はどちらもあり得ない話です。禅的な概念では小も大も素粒子レベルまで分解していくと、もはや物質ではなくなり、エネルギーの流れとしてしかの存在はなくなってしまいます。。まるで物理学的な話ですが、物理がまだない時代にそういう事を考えているのが、すごいですよね~。
「一粒の粟の中に世界を包み込んでしまい、半升(五合)のなべの中で山川を煮てしまう。」すなわち、絶対の世界は、大小の差はもはや関係なく、差別を絶していることを詠んだものです。一粒の粟の中に世界を包み込んだり、五合鍋で大地を煮てしまうとは、大小・広狭という分別を超えた壮大なはたらきを示し、一つ一つが尊い存在であり、素晴らしい働きがあることを示しています。
差別、区別の心を持たないこと。小さい大きい以外にも、お金のあるなし、学歴や肩書のあるなし、外見の良し悪し。一切の差別の心を捨て去ることが大事と訴えている言葉です。小さな粟の一粒とは私たちの心のことで、全ての差別心や思い込み、執着心を離れた心に全世界も収まってしまうという解釈だそうです。