雨中看杲日 六月の掛け物
雨中看杲日(うちゅうに こうじつをみる)
文字通り訳すと雨の中に燦々と輝く太陽をみることですが、常識的に考えるとあり得ない話だと思います。(この場合は天気雨とは意味が違って雨が降りしきる天気の中で同時に燦燦と輝く夏日を見るような感じです。)上記のイメージ写真も色々探したけど、良いのが無いので仕方なく使ったイメージにちょっとだけ似てる写真だと予め弁解させていただきます。(笑)
出典は聯頌集(れんしょうしゅう)という初めて聞く書物ですが、解説に読むと 常識を捨ててしまえば、何でもあり得るのだという事を(ざっくりと言えば)唱えています。今でいう発想の転換ということでしょうか?もしくはu制約条件を全て捨てて自由な発想で考えると言った感じだと考えていいと思います。また、雨と太陽など所謂、二元対立を克服できるかという問いかけも入っているようです。
禅語は禅問答から来た言葉なので意味難解ですが、これもご多分に漏れずといった感じですね?意味はわかっても、ではどうしたらいいかという行動部分の答えが、全然見出せませんよね。答えが分からないから修行するのですが…。
因みにこの句には、『火裏酌清泉(かりにせいせんをくむ)』 という対句が有ります。火の中から清らかな泉(清水)を汲み上げるという意味になりますが、これもまた無理な話です。
現実には起こらない、起こっていない出来事を心の目で見ることが出来れば、どんな状況でも惑わされず、自由自在に生きることができるということを諭してくれている句なのではないでしょうか?