金平糖 四月のお菓子
金平糖(こんぺいとう)
金平糖は1546年にポルトガルの宣教師からもたらされた異国の品々のひとつで、カステラと並ぶ南蛮菓子の代表です。当時としては(今でもですが)ひときわ美しく人々の目を引いたお菓子だったそうです。
織田信長も宣教師から贈られ、その形と味にたいそう驚いたという言い伝えがあります。もちろん当時はとても珍しく、公家や高級武士しか口にすることが出来ない貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密だったようです。 日本で金平糖が作られる様になったのは、1680年代で長崎で始まりました。やがて京都、江戸と広まっていきました。
金平糖の語源はポルトガル語の「confeito(コンフェイト)」。
昔は「金米糖(こんべいとう)」などともいわれたそうですが、今では関西などは「こんぺんとう」、関東より北の方では「こんぺいとう」と地方の方言によって少し違いがあるようです。私は愛知で育ったせいか「こんぺいとう」派です。
日本で唯一の金平糖の専門店が京都にある緑寿庵清水 (りょくじゅあんしみず)さん。ここでは現在60種類もの金平糖を製造販売されていますが、お店によると金平糖はレシピがないそうで、気温や天候によって蜜の濃度や釜で転がる金平糖の音を聞いて、状態を見極めて五感を使いながら体で覚えていく一子相伝の技だそうです。砂糖の金平糖が作れるようになるのにもコテ入れ十年、蜜掛け十年で二十年かかると言われています。まさに職人技ですね!
また、皆さんも感じていると思いますが、金平糖のイガがどうしてできるのか不思議だと思いませんか?金平糖は元々ゴマとか芥子の実を核として蜜をかけて作っていますが、この店では核となる「イラ粉」が 釜の上から下へ転がっていく時、鉄板に触れた部分の蜜が乾いて少し固いところができる。
そこがわずかに出っ張るため他の場所よりも蜜がつきやすくなり、突起部分が段々と大きくなってイガになる。釜が傾斜し回転しているので金平糖が転がり落ちていくことでイガが一か所ではなく何か所もできるからだそうです。
彩りが綺麗なので茶席での干菓子には持って来いのお菓子ですね。