お茶の用語辞典 (め)
名物(めいぶつ)
選定された由緒のある優れた茶道具のことを言います。名物とは本来「名」または「銘」のつけられた物という意であり、茶の湯道具の世界に使われるようになったのは、1434年の記録に残っていますのでかなり古い時代からということになります。自然発生的( 昔の御物か御物に比肩される茶器の名として定着した) な呼称と考えられていますが、茶道の成立とともに足利義満(あしかがよしみつ)・義教(よしのり)・義政(よしまさ)や村田珠光(じゅこう)などに愛玩(あいがん)された器物の総称名となっていったものです。利休より前の時代の名物を大名物と呼びます。 大名物とは、東山御物をはじめ、珠光から武野紹鴎(たけのじょうおう)に至る茶匠の手になる茶器のことです。
利休の時代には『茶器名物集』の別称をもつ『山上宗二(やまのうえのそうじ)記』(1588成立)が登場します。宗二は器種別に義政や珠光をはじめ著名な武人や茶人の所持した茶器を列挙して、それぞれに評価を下していきました。 利休時代に著名になった道具を単に名物と言いますが、これは織田信長や豊臣(とよとみ)秀吉が、津田宗及(そうきゅう)や千利休らに品定めさせたり、名物狩りと称して収集した茶器のことを指します。
こうした器種別編成法は江戸期に入ると『玩貨(がんか)名物記』(1660刊)や『中興名物記』17世紀末~18世紀前半刊 (小堀遠州(えんしゅう)が選定したもの )が出版されました。江戸時代を通じて名物という呼称は、実に広範なものとして展開していきましたが通常は 大(おお)名物、名物、中興名物 の3種に分類されることが多いです。これらの呼称は松平不昧(ふまい)の『古今(ここん)名物類聚(るいじゅ)』(1789~97刊)に表されています。
そして中興名物は、小堀遠州の選定した茶道具の名品の称です。瀬戸藤四郎(とうしろう)以下後窯(のちがま)、国焼(くにやき)などの逸品で、名物に漏れた品を選んだものらしいのですが、いわゆる『遠州蔵帳(くらちょう)』などに記載されている遠州の秘蔵品だけでなく、当時の諸大名が所持していたものを含めており、おびただしい数に上っています。
以上の3種の分類のほかにも名物という呼称は多様に使われています。例えば、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の所持した名物である「八幡(やわた)名物」、藪内(やぶのうち)家において名物茶器として尊重された「燕庵(えんなん)名物」、三千家において名物茶器として尊重されたとする「千家名物」、摂津国石山本願寺に伝来した名物茶道具「本願寺名物」、奈良の塗師(ぬし)松屋に伝来する徐煕(じょき)筆白鷺緑藻図(はくろりょくそうず)(鷺絵(さぎのえ))、松屋肩衝(かたつき)、存星盆(ぞんせいぼん)の3種を称した「松屋三名物」などはよく知られたところである。また、名物の釜(かま)を記した『名物釜記』『名物釜所持名寄(なよせ)』、名物茶入鑑定のための『名物目利聞書(めききききがき)』、堺(さかい)の数寄者(すきもの)の所蔵する名物目録を掲げた『名物記』など、名物の名を冠した書も散見します。そのほかにも、鎌倉時代から江戸時代中期にかけて渡来した織物の称である「名物裂(ぎれ)」という言葉も記憶に留めていただきたいです。
名水点(めいすいだて)
名水を茶の湯に使用することは、昔から盛んに行われていました。京都には醒ヶ井(さめがい)、宇治橋三の間、利休井戸などが有名です。京都御所の三名水とか京都市内だけでも名水と言われている神社は数多くあります。
名水点は、そのような名水を汲んで来て釜で湯を沸かしお客に茶を点てて差し上げます。これがその茶会の趣向となるわけですが、それを示すために水指には釣瓶(つるべ=昔の井戸で水を汲む桶みたいなもの)にしめ飾りをして点前座に荘ります。釣瓶水指は蓋が通常の水指とは違いますから、扱いも独特ですので、名水点というお点前も確立されています。やってみたいという方は小習の過程が終わったくらいに茶室でのお稽古でやっていただきたいと思います。
随時、更新していきます。分らないことばがあれば是非リクエストしてください。よろしくお願いいたします。