無想庵コラムCOLUMN

茶道の三大重要道具① 茶杓

茶道の三大重要道具① 茶杓

お茶を始めるに当たって、絶対に名前を覚えて欲しい道具に茶杓があります。写真で見て分かるように、棒状の先がスプーンの様になっているのことを茶杓と言います。茶杓の基本的な役割は、茶入から茶をすくい、茶碗に入れることです。

すくう部分は櫂先、中央などに見られる、すくう方と反対側の端が切止など、それぞれの部分に名称が付けられています。お稽古の際、各部の名前を知っていると分かり易いでしょう。素材は 一般的には竹で作られているものがほとんどで 象牙や金属などで作られているものもありますし、塗りの茶杓もあります。点前には格というもの(真・行・草)があるので、それにより使う茶杓の材質は決まってきます。(後ほどもう少し詳しく解説します。)

稽古用の普通のお茶杓は別ですが、銘が付いているようなちょっと特別なお茶杓の場合、保管するときは共筒にしまっておきます。 茶杓を削る(作る)時と同じ竹で筒を作ると共筒と言われますので、後で作った場合やそもそも材質が違う場合は単に筒といいます。

茶杓は侘びを表現する大事な道具です。茶杓は単にお茶をすくう道具というだけでなく、茶入や茶碗と同じく、茶会の趣向に合った取り合わせが求められるので、お茶会やお茶事ではどんなものでもいいわけではありません。茶の亭主の人柄や好みも窺い知ることができるため、大変奥深い茶道具なのです。 茶人の中にはこだわりがあって、通常は買い求めるものだと思いますが、自分で好きな形に削る人もいます。(もちろん決まりはありますが。) ですので、茶道の心が深いかどうかを見るうえでポイントになるのは、その人の茶杓に対する価値観ではないかと思っています。

茶杓は茶事の要といわれるもので、一つ一つに名前()が付けられているのも大きな特徴ですが、日本の故事や、季語、素材などにちなみ、さまざまな銘が付けられていて、それぞれの茶会に合わせて選択されてます。 私もそうでしたが、稽古の時に問答があり、茶杓の銘を聞かれたら、適当に季節の銘を考えて答えていました。実際無想庵のコラムでも「今月の銘」として毎月提示していますが、これらもそれらしい銘をお伝えしているだけで、本当は実際の茶杓の景色、姿を見てインスピレーションで亭主が付けるものだと思います。竹は自然のものなので同じものは無いとは思いますが、色合いとか疵とかが景色と茶人は言っています。

お茶を飲み終わったところで、招かれた客人は茶杓をはじめとした亭主の茶道具を拝見するのですが、その際茶杓の銘とお作、誰が作ったか?は問答で必ず正客が亭主にお尋ねします。お茶杓を手に入れた経緯(伝来)をお聞き、亭主のお気持ちや思い入れを理解会話を広げていくのが正客のお役目なのです。

茶杓の歴史は古く、中国の唐や宋の時代に、中国で使われていた象牙の薬匙がもとになっているそうです。材質的には金や銀、べっこうなどもあったようです。

抹茶は解毒薬として扱われていた事もあり、日本でも鎌倉時代の初めごろまでは薬匙として薬用の小道具に用いられていましたが、茶の湯の広がりとともに次第に茶の道具として使われるようになっていき、茶杓と呼ばれるようになりました。

現在一般的になっている竹製の茶杓は、室町時代中期にわび茶の創始者である村田珠光が作ったのが始まりです。当時も高価だった象牙の代わりに竹に漆を塗り、薬匙の姿をとどめたまま茶杓として仕上げていたようです。珠光というと利休より二世代くらい前の事態ということになります。その頃は竹でも節のないものしか使われていませんでした。ただそういう節と節の間が長い竹も貴重だったので、やがて元節という切止に節があるものが出来、さらに現代でも主流の真ん中に節がある中節ができたのです。

節のある茶杓を本格的に使いだしたのは、戦国時代から安土桃山時代に活躍した千利休です。利休が中央部に節がある「中節」を編み出したことで、節のある茶杓が茶の湯のスタンダードになっていきました。

茶杓には真・行・草があると前文で書きました。真の茶杓は象牙です。象牙が不足してくると節のない竹の茶杓も使われました。これも真の茶杓で先ほど登場した珠光の時代です。行の茶杓は元節で武野紹鴎の時代から使い出されました。(利休の一つ前の世代で師匠に当たる人です)

そして今現在も主流である杓の真ん中あたりに節がある中節が利休の時代から使われ始めました。利休が創始したというのが通説ですが、権威付に一躍買ったのは間違いないところです。

コメントを残す

記事に関するご質問やご意見などありましたら下記のフォームよりお気軽に投稿ください。