無想庵コラムCOLUMN

炉開き

炉開き

お茶の世界では11月は炉開きといい、茶人の正月とも言われています。
炉開きの日は正確に決まっていて、旧暦の十月の十日をいいます。 (新暦で十一月) また旧暦の十月は亥月とも言われ、亥月の亥の日に茶室の炉を開き、火を入れます。

「炉」とは、 茶室の疊を切って備え付けられている囲炉裏のことですが、千利休が発明したとも言われています。(それまでは風炉でしかも台子の点前のみでした。)

この頃から気温がぐっと下がり、冬へと向かうのが旧暦の10月。(最近は異常気象なのか温暖化なのかまだまだ温かい時期ですが…)お客様に近い位置に釜を置き、炭火を近づける。
少しでも暖かさを届けるため、これもお客様への心づかいの1つです。

そして「炉開き」の茶席で頂く主菓子の一つがが「亥の子餅」。( 以下、京都の甘春堂 さんの記事をほぼほぼ転載させていただきます)

「亥の子餅」は、元々 亥の月(旧暦10月)の亥の日の亥の刻(午後10時頃)に食し、 無病息災のまじないとした中国の俗信に基づいて、平安時代に宮廷の禁裏にて行われたのが始まりと云われております。

驚いたことに、紫式部の『源氏物語』にも登場しています。光源氏と紫の上の巻に、亥の子餅が登場する場面があり、 その頃は大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖(あめ)の七種の粉を入れた餅をついたと記されております。

鎌倉時代に入り、武家にも同じような儀式が広まり、猪(いのしし)は多産であることから子孫繁栄を願う意味も含まれ、亥の子餅を食したと云えられております。江戸時代には、亥の月の最初の亥の日を玄猪の日と定め、玄猪の祝いともいわれていました。 このため、亥の子餅(いのこもち)を玄猪餅(げんちょもち)とも言います。

また、亥は陰陽五行説では水性に当たり、火災を逃れるという信仰があります。 このため江戸時代の庶民の間では、亥の月の亥の日を選び、囲炉裏(いろり)や炬燵(こたつ)を開いて、火鉢を出し始めた風習ができあがりました。

こうして茶の湯の世界でも、この日を炉開きの日として、茶席の菓子 として「亥の子餅」を用いるようになったとのことです。

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