無想庵コラムCOLUMN

重陽の節句

重陽の節句

9月9日は重陽の節句ですが、皆さんにはあまり馴染みがないと思います。(私もお茶を始めるまでは、節句で知っているのは3月3日の桃の節句くらいでした。)この重陽の節句は、日本古来の習慣ではなく、中国から伝わったものです。

中国では、奇数は縁起の良い「陽」の日と考えられており、奇数が重なる日を「おめでたい日」とか「いいことが重なる日」として愛でる習慣がありました。現在の 中国だけではなく香港、マカオ、台湾などの所謂中華圏だけではなく、日本やベトナムにも伝わり、各国ともに伝統的な祝日(もしくは行事)があります。

実は節句は先ほどの桃の節句や重陽の節句以外にもあります。1月から始まる計5回の節句を「五節句」(※五節句の説明はお茶の用語辞典のコーナーで説明しています。)と呼ばれています。日本にも古くから伝わり、平安時代には宮中の行事として行われていました。そして時代とともにこの風習が広がり、江戸時代には庶民の間でも五節句を祝うようになりました。1月、3月、5月、7月と続き、最後に来るのが9月9日。最も大きい陽の数字が重なることから「重陽」と呼ばれ、昔は一年を締めくくる節句として盛んに行われていたようです。

この五節句の制度は、明治時代に入って廃止されました。この時代は文明開化の煽りで日本的なことはことごとく否定されていました。この時多くの日本の文化遺産が海外に安売りされていったようです。茶道もその対象になり消滅の危機に瀕していたようです。

しかし、伝統的文化はやはり人々の中には生き続け、今でも季節の行事として人々の間で楽しまれています。もっとも文化的なことを 学ぶ機会が日本の学校制度、教育の思想にはほとんどないので、私もお茶を始めなければ、節句とは桃の節句というくらいしか知らなかったと思います。さて、それぞれの節句には、託された願いや行事食などがあるのですが、重陽の節句は、旧暦では菊の花が美しい頃と重なることから、別名「菊の節句」とも言われています。 不老長寿を願い、邪気を払う。菊を使った料理やお酒などを楽しむ風習になっています。お酒に関してはなんと 平安時代から菊花酒(菊の酒)を飲む風習があったです。

菊花酒の由来ですが、皆さんは「菊慈童」という中国の伝説を聞いたことがあるでしょうか?
周の穆王(ぼくおう)に寵愛された慈童が過って王の枕をまたいでしまいます。(枕は使う者の魂が宿るとされていましたので、重罪です。)その罪で慈童は流刑になりますが哀れに思った穆王が偈(げ)(※ 説明はお茶の用語辞典のコーナーで説明しています。 )を贈ります。
慈童は忘れないように偈を菊の葉に書き残しその葉についた夜露を飲んだ慈童は不老長寿となりました。 という伝説です。

また重陽の節句には日本独自の文化もあります。
着せ綿」というもので9月8日の夜に菊の花に真綿を被せ、夜露と菊の香りを移しとります。
翌朝その綿で体や顔を拭うと、老いが去り長寿を保つと信じられていました 。本当だとすごいですね!

お茶の世界ではこの着せ綿をイメージして写真のような生菓子を主菓子としてお茶とともに頂いています。練り切りです。

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