無想庵コラムCOLUMN

八つ橋 五月の銘

No Image

八つ橋

八ツ橋とは京都のお土産、生八つ橋がやたら有名ですが、本来はその名の通り、池や小川などにかかる、幅の狭い橋板を数枚、稲妻のような形につなぎかけた橋のことでです。8枚の板からなる三河の八橋に由来しています。

葛飾北斎

右の絵は有名な葛飾北斎が全国の特徴のある橋を描いた11図からなるシリーズ「諸国名橋奇覧」のうちの一枚です。

本図は「伊勢物語」に杜若の名所として詠まれた、八つ橋を題材に取った作だそうです。専門家によると、何でも当時、八つ橋はすでに存在せず、この図は想像で描かれたそうです。今でも、杜若と八つ橋のイメージはよく知られていますが、人間の想像力と空想力とは本当にすごいですよね。この絵を見ているだけで初夏という感じが伝わってきます。

私の故郷、愛知県碧南市の近くに知立市という街に、杜若(かきつばた)で有名な八橋かきつばた園があります。無量壽寺の本堂裏に広がる、かきつばたの名所です。ずいぶん昔に一度だけ行ったことがあります。その時はまだお茶をしてなかったので、名前の由来とか全然知らなかったのですが、お茶の銘にもなっている八つ橋についてその由来などを調べてみました。

この地を流れる逢妻川は、蜘蛛の足のように8つに分かれていたそうで、
その川に8つの橋を架けたことから八橋と呼ぶようになったと言われています。

『でらダッシュ名古屋』さんのサイトによると、 平安初期の842年のある日、母親は子供を家に残して海藻をとりに出かけた際、子供たちは母親が恋しくなり、川辺まで来てしまいました。向こう岸に母親を見つけて駆け寄ろうとしましたが、誤って水に落ちて亡くなってしまったのです。

悲しみに暮れた母親は無量壽寺に入り「師孝尼(しこうに)」という名前の尼になりました。
師孝尼は子供の菩提を弔い、観音様に「橋さえあれば…」と祈り続けます。

そんなある夜、「岸辺に打ち寄せた材木で橋を架けなさい」と夢のお告げがありました。師孝尼が岸辺に行くと、そこにはお告げ通り沢山の木材が。師孝尼は幾筋にも分かれる川の流れに合わせ、互い違いに板を渡して八つの橋を完成させました。
村人は橋の数にちなみ、この地を八橋と名付けたそうです。

この 師孝尼の故事から生まれたのが「本家西尾八ッ橋」の八ッ橋です。
元禄2年(1689)に、西尾家の先祖が物語に感銘を受け、橋の形に似せた米粉のせんべい菓子を作って八ッ橋と名付けたと言われています。
京都銘菓である八ッ橋、あんなま、生八ッ橋の元となったせんべいそうです。

だから愛知育ちの私の記憶には八つ橋といえば固い瓦煎餅みたいなものを思い浮かべてしまいます。京都の生八つ橋はにっきの香りが苦手というのもあって食べる気しないのも小さい頃の食環境に拠るものなんでしょうね。銘の話と全然関係ないけど…。

お茶の銘としては、茶杓に付けられたりしていますが、大概お道具の銘は万葉集とかの古典から、逸話を紐解き(イメージで)使わせてもらう時が多いので、八つ橋という銘にも出会えることがあるかも知れません。(今のところはないですが)

コメントを残す

記事に関するご質問やご意見などありましたら下記のフォームよりお気軽に投稿ください。