無想庵コラムCOLUMN

善哉 十一月のお菓子

善哉 十一月のお菓子

善哉(ぜんざい)

善哉は元々仏教語で、「素晴らしい」を意味するサンスクリット語「sadhu」の漢訳が出典です。仏典では、仏が弟子の言葉に賛成・賞賛の意を表す時に、「それで良い」「実に良い」といった意味で用いられました。
仏教語の「善哉」がおしるこを意味するようになった由来は、これを食べた僧があまりの美味しさに善哉(よきかな)と賞賛したためとされるが未詳。
一説には、後述するようにぜんざいを初めて食べた一休禅師が、「善哉此汁」と言ったことからともいわれています。

「ぜんざい」と「おしるこ」の区別は近世後期に確立したもので、関東では餡に近く汁気が少なくいものを「ぜんざい」、汁気の多いものを「しるこ」と呼ぶそうです。関西では汁気の少ないものは「亀山(かめやま)」、汁気があるもののうち、つぶし餡で作ったものを「ぜんざい」、漉し餡で作ったものを「しるこ」と呼ぶとのことですが、私自身は全く区別していませんでした。餅を焼く焼かないも各家庭とか地方毎の慣習ではないかと思います。

さてではなぜ、炉開きの時に善哉を頂くのでしょうか?他流派のことはわかりませんが、裏千家では主菓子として善哉が出されています。 頂き方も決まっていて、黒文字と杉箸の組み合わせでお箸の様にしていただきます。 頂いた後は懐紙で綺麗に器の中を綺麗に清め(拭き取り)ます。由来は一休宗純が最初にぜんざいを食べたときに「よきかな(善哉) よきかな(善哉)と言われたことから、おめでたい行事で出されるとも言われいます。

陶芸家の沼尻さんのブログに善哉の歴史がまとめられていたので、転載させていただきます。

大阪ミナミには法善寺横丁という所がありますが、 老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店などがずらりと並び、 行き交う足音がコツコツと鳴り響く 風情ある石畳が情緒たっぷりです。元々この地は浄土宗天龍山法善寺の境内でしたが、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したらしいです。太平洋戦争の空襲で寺も横丁も焼失したが、戦後、盛り場として復活。

織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台として知られ、歌謡曲「月の法善寺横町」にも歌われました。戦火をくぐり抜けた不動尊は、願いを込める人たちがかけた水で、全身に緑の苔がびっしりです。

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