無想庵コラムCOLUMN

白珪猶可磨 十二月の掛け物

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白珪猶可磨(はっけいなお みがくべし)

白珪とは上部が丸くて下部が四角い形をした玉(石?)のことで、完全無欠だそうです。また転じて、修行の行き届いた人のことを言うようです。磨いて白く美しくなった玉をさらに磨いていこうという励まし(戒め)の言葉です。修行には終わりがないとはよく言いますが、真剣に取り組んでいると何事もこれで良しということはありませんよね?私もお茶名もらったから完成ではなく、むしろそれからが本当の修行だと思っています。

人間は誰しも、ついつい安易な妥協をしがちになってしまうと思います。特に年を取ってくると、色々苦労をしてきたし、この辺で好きなことだけでもしようかなどと、楽な道を考えてしまいます。 これでいいと思ったら、成長はそこで終わりです。

やはり人間は死ぬまで修行していかなければならないのではないかなと私は思ってます。完全無欠なんてこの世には存在しないし、(ちょっと偉そうなこと言いますが、)人生の目標に終わりはないと思うのです。 死ぬまで向上!と私は思っています。(気合だけは十分なんですが)ゴールすることが出来たら、さらにそれに磨きを掛けて上のレベルを目指したいと思っているので、この禅語は私の座右の銘でもあります。

出典は『誌経(しきょう)』という中国最古の詩集 です。この詩経から禅語はよく出てきますので、書名もついでに記憶の片隅に置いておかれると良いと思います。

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