無想庵コラムCOLUMN

きんつば 六月のお菓子

きんつば 六月のお菓子

金鍔(きんつば)

潰した餡を薄皮で包んでごま油で焼いた和菓子が金つばです。江戸時代の中期に京都で生まれた銀鍔」が江戸に下り、「金鍔」と名を変え評判になったそうです。

写真の様に今は四角い形をしていますが、当初は丸くて平たい刀の鍔のような形だったので「銀鍔」とか「金鍔」という名前が付いたそうです。金とか銀とか色の名前が付いた理由は、京都では皮の材料がうるち米で餡を包んで焼くと銀色に見えたからだそうです。また金鍔は京都に対抗して金にしたわけではなく、皮の材料がうるち米ではなく、小麦粉に変わったので、焼くと金色に見えたからだそうです。

また当時は、京都は銀貨、江戸は金貨が使われていたからという説もありますが、多分焼き色のせいではないかと思います。川柳にも歌われたりと当時は相当な人気のお菓子だったようです。私などお茶を始めるまでは食べたことが無かったくらいですから、隔世の感がありますね。

さて金鍔と言えば言えば、有名店は東京日本橋にある榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)さん。公式サイトに拠ると

菓子商をしていた細田徳兵衛が、2人の孫を連れて江戸に出府し「井筒屋」を九段坂に構えました。その後、徳兵衛の曾孫にあたる3代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が日本橋の袂に屋台を開きました。栄太郎が焼く金鍔は「大きくて甘くて美味しい」と魚河岸の商人や軽子たちの評判を呼び、その噂は江戸中に広まったとのことです。やがて安政4年、旧名日本橋西河岸町(現在の栄太楼ビルの地)に独立の店舗を構え、自らの幼名栄太郎にちなんで屋号を「榮太樓」と改めました。
こうして、榮太樓の歴史は幕を開けたそうです。

榮太樓總本鋪 さんの金鍔

確かに老舗の金鍔は丸いですね!明治にはロンドンで開催された発明品博覧会に商品を出品されたそうです。

現在のような形にしたのは、神戸元町に本店がある本高砂屋の創業者である杉田太吉さんが、初めてきんつばを四角い形にしたといわれています。「高砂きんつば」は、焼き立てのおいしさにこだわり、職人がひとつひとつ手焼きをしています。まろやかな口当たりと上品な甘さが人気です。

もう一つ大阪で有名な金鍔屋さんがあって、北浜の 出入橋きんつば屋 さんです。買いに行くのは距離的にこのお店か、百貨店の和菓子屋さんです。

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