無想庵コラムCOLUMN

喫茶の始まり

喫茶の始まり

お茶を飲むという、今では日常的な習慣はいつ頃、どこで始まったのでしょう。お茶の木そのものの原産地は、今の中国の雲南省とか四川省、インドのアッサム地方(今のインドの東部)辺りとされています。研究によればこれら茶木の葉を加工して飲む行為は四川省辺りとも雲南省辺りとも言われています。西暦で言うとちょうど紀元前後には喫茶はされていたという記録があるそうです。今から2000年以上も前ということになりますね。

紅茶の団茶

日本には、奈良時代に伝わっており、お茶の葉っぱのままではなく、蒸して固めた「団茶(だんちゃ)」というのが伝わりました。団茶というのは茶の葉を蒸し、茶臼でついてかたまりにしたもので削って使用するようです。 中国唐時代の飲茶法で、日本では奈良・平安時代に流行したそうです。 煎餅のような形の団茶もあるようですが、その場合餅茶(へいちゃ)というらしいので、お団子状の写真を探してみました。注釈の通り、紅茶の団茶なので色が違うかも知れません。緑色の団茶の写真もありましたが、日本で作られた最近のものだったので、あえて中華圏での団茶で調べた写真です。

お茶の点て方も変遷があって、茶道で言う抹茶が飲まれるようになったのは、鎌倉時代になってからです。一応茶道を嗜む者の基礎知識として知っておいていただきたいことですが、栄西という禅宗を日本に伝えたお坊様が茶葉を粉末にしたもの(抹茶)を時の将軍、源実朝(みなもとのさねとも)の二日酔いの薬として献じたというのが始まりの様です。栄西が書いたとされる「喫茶養生記」にあるように、始まりは抹茶は薬という認識で仙薬であり、寿命を延ばすと信じられていたようです。確かに抹茶は健康には大変良いと思います。

鎌倉時代は、禅宗の生活規範の一つとして喫茶が行われ、やがて室町時代になると武家社会に広がっていきます。この時代は中国製の品々が大変貴重とされていたので唐物を使った喫茶がとても流行っていたと記録に残っています。この時は喫茶は会所という結構広い場所で行われていて、食事とお酒を頂いてからお茶を飲むという流れで、利休以後の茶事の原型が出来上がりました。

唐物は貴重品のため、権力の象徴みたいな存在で、(今ならタワマンとか超高級外車など)結構、派手派手だったようです。やがてその反動かわび茶という概念が珠光(しゅこう)により始まり、竹野紹鴎そして千利休によってわび茶というスタイルが完成し、基本この路線で現在に至ります。

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