無想庵コラムCOLUMN

流派の話②

流派の話②

宗徧流(そうへんりゅう)

山田宗徧(1627~1708)が始祖の流派です。京都の寺院に生まれた人です。18歳の頃から宗旦に茶を学び始め、修行後、寺を譲り、三河吉田藩に43年間仕官しました。隠居して江戸に移り、茶匠として活動するとともに、数々の茶道に関する本を出版した人です。宗偏流は、宗旦の侘び茶の世界をよく引き継いでいるとはいえ、武家に永く仕えることで武家茶道としての性格を色濃く持つようになりました。 それは武家の完全相伝で外に漏れることがまったくなく、一般性に欠けるという特徴です。 江戸時代の終焉に当たり、裏千家が学校茶道など教育分野として一般に広く広めたのに対して、いかに宗偏流が武家に依存していたかを痛感したとも伝えられています。

藪内家(やぶのうちけ)

流祖は藪内『剣仲』紹智で、藪ノ内家のサイトを拝読すると、彼は武野紹鷗(たけのじょうおう)の最晩年の弟子で、「紹」の一字を頂いているそうです。兄弟子千利休の勧めもあり、大徳寺の春屋和尚に参禅し、文禄四年(1596)春屋(しゅんのく)和尚から「剣仲」の道号を授かりました。また、剣仲は利休及び古田織部との親交が深く、利休から茶室「雲脚」をいただいており、さらに織部からは茶室「燕庵」と露地・表門等賜っています。 藪内流の特徴は、紹鷗や利休の「侘び茶」と織部の「武家茶」の良さが上手く調和している点にあるとされています。 その茶風は、所作が大ぶりであることから「武家点前」「男性的」と評されることもあるそうです。 私にはお知り合いがいないので、機会がないのですが、一度でいいからお茶会にお呼ばれしたい流派です。男として武家点前というのがどんなものか拝見したいです。

三斎流(さんさいりゅう)

細川三斎を流祖と仰ぐ、武家茶道の一派です。細川三斎は皆さんもご存じだと思いますが、戦国時代の大名で、利休七哲にも数えられる大茶人でもあります。現在のお家元は三斎から数えて21代目とのことで、島根県出雲市が本拠です。流儀が伝承されていくうちに出雲に伝来したようです。

三斎流の中でもいくつか流派?(グループ?)があるようですが、その中の九曜会さんのサイトを拝見すると、三斎流の特徴がわかります。私自身、今まで三斎流との方との出会いが無かったので良く知らない為、説明文を転載させていただきます。 三斎公は利休の点前を改めなかったと伝えられており、現在伝わっている点前も、他の流儀に比して大変丁寧な所作で、約四百年前の利休や三斎公の時代の形が多く残されています。

織部流(おりべりゅう)

たぶん誰もが知っている超有名人の古田織部が流祖です。私も「へうげもの」を読んで、すっかり織部のファンになりました。利休も認めるほど独創性に溢れた茶人だったようです。もちろん戦国時代ですから、武功にも秀でていました。

現在の織部流では、「織部流温知会」、「式正織部流」、「織部流扶桑派」の3つの流派が並立しているみたいです。ウィキペディアによると、古法に則り 唯一の織部流を踏襲しているのは 「織部流温知会」のみと言われています。その為「温和会」の点前と、「式正織部流」、「織部流扶桑派」の点前とでは、大きな違いが見られるそうです。 この織部流は柳営茶道(りゅうえい さどう)の元祖だそうです。柳営茶道とは江戸幕府(将軍家)の元で行われてきた茶道(茶の湯)のことで、武家茶道と言われています。流儀としては織部流、遠州流、石州流をさしています。

遠州流(えんしゅうりゅう)

小堀遠州が流祖です。先の古田織部から茶の湯を学んでおり、直接利休から教えを受けてない世代の大名茶人です。関が原では徳川側で勝ち組になり、幕府関係の建物を造営修理する作事奉行(さくじぶぎょう)という要職に就き、更には京都伏見奉行にも就任した江戸初期のエリート大名見たいな人です。京都の重鎮になりましたから、貴族との繋がりも深くなり、遠州の茶の湯は貴族文化もかなり取り入れられました。利休の侘びた茶というより、中国美術品や貴族文化の和歌や古典文学などの鑑賞という要素も取り入れられた茶会を定着させた人物です。後世、現在に至るまでの茶の湯文化の形を作った茶人だと私は思います。おかげで茶の湯が文化的教養もいるし、習う者にとっては大変ですが(笑) 遠州流茶道の特徴は「綺麗さび」と呼ばれ、 わび・さびの精神に、明るさ、豊かさ、美しさ、品格を加え、誰からも美しいと思われる客観性の美、調和の美のことを意味していると言われています。私的にはこの綺麗さびがどんなものか 大変興味を持っていて、 ぜひお茶席に呼んでいただきたい流派です。

宗箇流(そうこりゅう)

上田宗箇が流祖の一派で、現在は広島県が本拠です。 彼も武勇で知られる武将でした。茶道は千利休、ついで古田織部の門下でした。徳島城、名古屋城などの作庭をしたり、茶杓、茶碗など手作りの茶道具に逸品が多いらしく、文武両芸に秀でた人であったと考えられますね。現在の家元は16代目です。

武家茶道の常として帛紗を右につけることや、柄杓の扱いなどが直線的な所作であることを特徴としているそうです。また男性と女性で点前の区別がはっきりしているらしいです。裏千家との違いは正直、宗箇流の点前を見る機会がないのでわかりませんが、時間のある時ユウチューブに出てないか調べてみます。

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