東風 二月の銘
東風(こち)
文字通り東から吹く風のことですが、 この言葉を使う季節は春先限定です。冬の季節風が終わり、早春に吹く東寄りの風が正確な表現でしょうか?
でも「こち」って変な読み方ですよね?気になったのでちょっと調べてみました。 田井信之先生の「語源を探る」(桜書院)という本の解説によれば、東(ひがし)の語源「ヒムカチ」の上略形「カチ」が「コチ」となり、東の風を意味する「コチカゼ(東風)」がさらに省略されて東風=コチとなったという説明がなされています。 ついでに、東(ひがし)の語源については、太陽が登る方角という意味の「日向かし」(ヒムカシ)説が有力が有力とのことです。 現代の若者言葉ばかりでなく、大昔から言葉の省略はあったんですね。近年は変化が激しい時代なので、言葉の変化が目立ちますが、言葉はどんどん変化するというのは当たり前のことなんですね~。改めて感じました。
『東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』 この歌は、拾遺和歌集に収められている、 有名な和歌で、作者はあの菅原道真(みちざね)です。
訳すと、(春になって)東の風が吹いたならば、その香りを(私のもとまで)送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、(咲く)春を忘れてくれるなよ。 という感じでしょうか。高校の古文に出てきた有名な和歌ですよね?
この拾遺和歌集の詞書には、「右大臣であった菅原道真が、太宰の権の帥府に任命され、太宰府へと左遷されなさったとき、家の梅の花をご覧になって詠んだ歌」と記されています。
学者の身分でありながら、宇多天皇、醍醐天皇の信任を得て、右大臣にまで昇り詰めた菅原道真のことをよく思っていなかった、左大臣藤原時平をはじめとするアンチ菅原道真派の策略により、菅原道真は太宰府へと左遷されることとなりました。このとき、天皇は宇多天皇からその息子の醍醐天皇へと譲位されています。醍醐天皇の治世でも出世を続けた菅原道真でしたが、宇多天皇の退位により最大の後ろ盾を失ったことが、左遷を防げなかった大きな理由だったそうです。 現代の官僚や大企業の役員の派閥争いみたいですね。傷心の最中に、このような名句を残すとは教養がありますね~。普通の人なら怒りや恨みつらみで愚痴しか出てこないものですが、さすが学問の神様になる人は違いますね。
茶の湯では、東風は茶杓や茶碗の銘に使われます。東風が吹けば春ももうすぐ。道具の銘には打ってつけです。上記の和歌全文を歌銘として付けられる場合もあるようです。確かに自分のお道具に歌銘を付ければ何度も言いますから完全に覚えられそうです。会話も菅原道真公の話に広がりますから、話題に困りませんし…。そんなことを考えて銘を付けてはいけませんが、(笑)でも素敵な銘だと思います。