無想庵コラムCOLUMN

平常心是道 八月の掛け物

平常心是道 八月の掛け物

平常心是道(びょうじょうしん これどう)

本来、平常心は古くより「ビョウジョウシン」と読み慣わしていたそうです。現代人はつい「ヘイジョウシン」とは読みますね。禅語の場合はビョウジョウシンと読むと覚えてください。出典は「無関門」という書物 の『馬祖語録』 です。禅語になじみがない方でも一度は聞いたことがあるような句だと思います。

禅学大 辞典によると「平生の喫茶喫飯がすべて道と一体になり、それが悟りそのものであること。平常心とは行住坐臥の日常生活のことで、これこそ真実の禅のありようとする様です。馬祖語録として中唐以後の禅思想を貫く根本命題となったらしいです。一言でいえば、 ふだんの当たりまえな心こそが道であるということでしょうか。 他にも『禅林句集』には、「日常のあるがままそのままの心が道である。趙州、南泉に問う、『如何なるか是れ道。』 泉云く、『平常心是れ道。』」とあります。分かるようで分からない問答ですね(笑)

禅の研究家によると、道を行ずることは、さして難事ではないともいえるが、実はむずかしい。なぜむずかしいかというと、こざかしい思慮分別を捨て、規範の意識も通りぬけて、無造作でなんともない心を真にわがものとすることが難中の難だからである」と解説していますが、確かに人間エゴを完全に捨て去るのは不可能に近いですからね。

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