無想庵コラムCOLUMN

禅語の茶掛に馴染んでみよう

禅語の茶掛に馴染んでみよう

お茶席にはその時期に相応しい禅語の 掛け物(掛軸)を、荘(かざ)りたいものですね。 経済的にたくさんの掛軸を買い揃えるのは難しいですが、毎月一つずつ『今月の禅語』として、ご紹介していきたいと思います。

漢字と読みと意味をセットで覚えてしまいましょう。一カ月に1つ覚えていくだけでも1年経てば12個覚えられます。以外にお茶席で出会う確率も高いですよ。出来れば時期も一緒にメモしておくと、来年の同じ時期にお見かけすることができ、読めたり解説したりすると、かなり教養人とみなされます。(笑)

お茶事やお茶会は、亭主が会の目的やお客様をおもてなしする意図や趣向を持って催されるものです。掛物はその亭主の意図や趣向を参会者に知らせるために掛けているのです。

現在の茶道が確立する以前の、禅宗寺院の喫茶儀礼(茶礼)や室町時代の闘茶の時代から掛けられていたようです。禅院では一座の精神の象徴として、また闘茶では権力や財力の象徴として飾られていました。千利休の晩年ころになってようやく、茶席の主役になり、その後今のような形式に固まって来たようです。

掛物の中でも、このような禅語の一行書は多いのですが、これは墨蹟(ぼくせき)と言って禅僧に書いていただいた書のことです。茶道は禅宗と結びつきが強いのはご存知の方も多いと思います。精神的な拠り所として禅の高僧の徳を慕って墨蹟をかけることが定着してきました。

一行書は季節感や茶会の趣旨を表すのに適した語が多く、いまや掛物の中心的存在です。

自分なりに勉強して解説させていただきますが、 もしこういう違う解釈もあるよ!もしくは間違っています!など、禅語を詳しくご存知の方がいらっしゃれば、教えてくださるとすごく嬉しいです。また他にも素晴らしい言葉や禅語があるよと教えていただける方がいらっしゃればお願いします。

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