無想庵コラムCOLUMN

葉々起清風 七月の掛け物

葉々起清風 七月の掛け物

葉々起清風 (ようよう せいふうをおこす )

この禅語「葉々起清風」は、茶道の掛軸としてよくお茶席に掛けられています。原典のままの「為君葉々起清風」や、「竹葉々起清風」の字で書かれていることが多いです。 出典は、『虚堂録』です。

この「葉々起清風」という掛軸がよく使われる時期は、5月〜7月くらいの初夏から夏に向けの時期です。 句の表すイメージが涼しい風を思い起こさせるからでしょうか?清風とも字のイメージ通り清らかで清々しい風のことで葉々が揺れることで清風を起こしているという情景を詠んでいます。

実はこの句は、上記の通りはじめに「為君」という語句が付いていますね。 これは虚堂禅師と友人たちとの別れのエピソードなのです。 「君のために葉々が清風を起こして、見送っている」という意味の別れを偲ぶ詩なのです。(修行に出る雲水たちを見送るという説もあります。)

竹までもあなたたちとの別れを惜しんでいるかのようだ、という別れの寂しさや旅の安全を願う気持ちを詩で表現しているのですね。下の詩が原文です。

誰知三隱寂寥中。因話尋盟別鷲峯。相送當門有脩竹爲君葉葉起清風

誰たれか知しる三隠さんいん寂寥せきりょうの中うち、話はなしに因よりて盟めいを尋ついで鷲峰しゅうほうに別わかれんとするを。相あい送おくりて門もんに当あたれば修竹しゅうちく有あり、君きみが為ために葉葉ようよう清風せいふうを起おこす。

別れを惜しみ、見送る詩であることを考えると、あまり初夏にこだわらず、送別の茶席に相応しいと思ったりしています。

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