無想庵コラムCOLUMN

行雲流水 六月の掛け物

行雲流水 六月の掛け物

行雲流水(こううんりゅうすい)

茶席に掛かる禅語の中でもよく拝見するお軸の一つです。禅語辞典では「東坡禅喜集(とうばぜんきしゅう)」とありますが、説明が難解なので、今回は三省堂の新明解四字熟語辞典の説明を拝借したいと思います。この辞典によると、 出典は蘇軾(そしょく)の「謝民師推官(しゃみんしすいかん)に与あたうるの書(しょ)」 ということで、なぜ出典が違うのか謎ですが、言葉の説明は大変分かり易いと思います。下のような説明がなされていました。

空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえである。また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。

「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水。諸国を修行してまわる禅僧のたとえにも用いられることがあり、禅の修行僧を雲水というのはこれが元になっています。単語をひっくり返して「流水行雲りゅうすいこううん」ともいうらしいので、ヤヤコシイですね。

四字熟語辞典には、句例もついていました。『行雲流水、人生は旅なり 』これなら何となく行雲流水の意味のイメージが湧きますね。

「行雲」はお道具の銘にも使われています。私が出会った「行雲」というお茶杓は、染み竹のお茶杓で、節から上に染みがありその景色が行雲という感じを受けました。インスピレーションの世界ですので、人によって受け取り方は違うと思いますが、何となく銘を付けられた方の感性はちょっと感じたように思いました。

また鵬雲斎大宗匠お好みの「行雲棚」というのもあります。 行雲棚(こううんだな)は、天板と地板は松材拭漆、桑材の四本柱の二重棚です。中板が楓材、勝手付に桜材の脇板、客付に行雲透しのある梅材の脇板を渡している棚です。

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