無想庵コラムCOLUMN

 竹有上下節 六月の掛け物

 竹有上下節 六月の掛け物

竹有上下節(たけに じょうげのふしあり)

文字通りに、竹には上下の節があるということですが、同じように人間にも区別があって、どんなに仲が良くてもそれぞれの立場や考え方があり、礼儀や節度を守らなければ社会の調和は保たれないということを教示している言葉です。

これには対句(上句)があって、「 松無古今色 竹有上下節 」で一句となっています。出典は「五灯会元」

松は古葉、若葉の交替はあっても、季節の移りの中でもその翠を保ち、古松に見る年月を経ても翠は変ることの無い一色平等を「松に古今の色無し」の語で示し、「竹に上下の節あり」の語で 竹にははっきりとした上下の節があり、 上下の差別歴然たる相を示している様です。松には千年にわたる翠の平等がありながら、その中には古今の差別が歴然としてあるし、竹の節には歴然とした節という上下の区別をみるが、同じ一本の竹には上下の優劣は無く平等である。

世の中のすべては同じであるわけは無いのは確かですし、それぞれにはそれぞれの特徴があり、役割が違うのも確かにそうです。 差別歴然であるが、その役割、命はみな平等であり差別は無い。しかしながら、節操の無い平等はこれまた自然に調和しないというのもうなづけます。家庭には親子があり、男女があり、社会には長幼の序があって調和する。一人一人平等であるが、平等一辺倒でも世の中の成立はありえない。そこに「竹に上下の節あり」の意義を感じましょうということだと思います。

その松と竹のありようを有と無、古今と上下の対比をもって、仏教の妙理を示したことばですね。対句となっていますが、茶掛けなどそれぞれに独立した禅語として一行物で用いられることが多いです。何れの句を用いるにしても、その対比するもう一句があることが多いので、出会った軸の禅語は少し調べてみると新しい発見や意味がより深く理解できます。

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