無想庵コラムCOLUMN

花開万国春 三月の掛け物

花開万国春 三月の掛け物

花開万国春(はなひらいて ばんこくのはる)

日毎に暖かさが増していくとともに、至る所で様々な花が咲き始め、本格的な春の訪れが感じられる。という意味です。
そのような日々が未来永劫へと続くことを祈る気持ちを込めた言葉であり、仏教的解釈をするならば、悟りの尊い境地を得ることで感じられる永遠の時間の素晴らしさを表しているようです。

先日、西宮神社の六英堂で福寿会のお茶会が開かれました。師匠がお釜を掛けられましたが、その時の本席の床に荘られたのが、この『花開万国春』というお軸でした。

桜もちらほら咲き始め、もうすっかり春の気配が訪れたこの時期にぴったりのお軸だと思います。

お茶席でよく掛かっている割とメジャーな禅語のはずで、書物やWEBで色々調べましたが、出典が何か分らずじまいでした。ご存知の方がいらっしゃれば是非詳しい情報をご教授ください。

ところで、茶席の床には当たり前のように掛物があり、今まで掛物を掛ける意味を考えたことがありませんでした。今回、自分なりに書籍などで調べたので簡略にお伝えしたいと思います。

お茶事やお茶会は、亭主が会の目的やお客様をおもてなしする意図や趣向を持って催されるものです。掛物はその亭主の意図や趣向を参会者に知らせるために掛けているのです。

現在の茶道が確立する以前の、禅宗寺院の喫茶儀礼(茶礼)や室町時代の闘茶の時代から掛けられていたようです。禅院では一座の精神の象徴として、また闘茶では権力や財力の象徴として飾られていました。千利休の晩年ころになってようやく、茶席の主役になり、その後今のような形式に固まって来たようです。

掛物の中でも、このような禅語の一行書は多いのですが、これは墨蹟(ぼくせき)と言って禅僧に書いていただいた書のことです。茶道は禅宗と結びつきが強いのはご存知の方も多いと思います。精神的な拠り所として禅の高僧の徳を慕って墨蹟をかけることが定着してきました。

一行書は季節感や茶会の趣旨を表すのに適した語が多く、いまや掛物の中心的存在です。

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